第5回関学英米文学月例会
第5回関学英米文学月例会
第5回関学英米文学月例会を下記の要領で開催いたします。ご出席いただきますようご案内申し上げます。
記
【日時】 2008年11月29日(土)午後3時より
【場所】 関西学院大学F号館103教室
<題目>マクベスにおける “time”
<発表者> D3 森井祐介
<題目>世紀末の人々
<発表者> M2 柴田 大輔
多数のご参加をお待ちしております。
関学英米文学月例会世話人
D2 大川 淳
D2 千葉 淳平
第5回関学英米文学月例会
第5回関学英米文学月例会を下記の要領で開催いたします。ご出席いただきますようご案内申し上げます。
記
【日時】 2008年11月29日(土)午後3時より
【場所】 関西学院大学F号館103教室
<題目>マクベスにおける “time”
<発表者> D3 森井祐介
<題目>世紀末の人々
<発表者> M2 柴田 大輔
多数のご参加をお待ちしております。
関学英米文学月例会世話人
D2 大川 淳
D2 千葉 淳平
-1-
【題目】Man and Supermanにおける場面設定と空間移動
【発表者】磯部祐実子
【発表要旨】Man and Supermanでは、幕ごとに場面が明確に変化する。第1幕はロンドン中心にある屋敷の書斎を舞台とし、第2幕はロンドン郊外の車道へと移動し、更に第3幕でシエラ・ネヴァダの荒野に移り、夢の世界(Hell)を経て、第4幕ではグラナダの邸宅の庭へと至るというように、場面設定は目まぐるしく変転する。こうした場面展開とプロットの流れを、おとぎ話の基本構造(ヒーローと、彼に課せられた試練の克服で成就する冒険物語)として捉え、ドラマ全体を主人公TannerがヒロインAnnにふさわしいヒーローへと成長するプロセスとする見方もある。確かに、シエラ・ネヴァダの荒野は冒険物語のヒーローに課せられる困難を体現し、打ち勝つべき敵あるいはライバルにヒーローが出会う場所とみなすことができるかもしれない。あるいはまた、第4幕の庭には、あたかも結婚の結末に呼応するかのように、楽園のような安らぎを想起させる描写も見られる。
しかし、改めて眺めてみると、第3幕のTannerは冒険物語のヒーローが克服すべき<敵>に遭遇していない。更に、第4幕で契りを交わすTannerとAnnではあるが、これを伝えるショーの筆は極めてアイロニカルである。こうした一連の筋立てに書き込まれているのは、伝統的な冒険物語というより、その祖型を援用した冒険物語のパロディなのではないか。ショーはおとぎ話の構成要素を彼一流の皮肉と逆転的発想で換骨奪胎し、Tannerが荒野へ逃げ込む理由や、それを追うAnnの構図を通して、独自の演劇的世界を構築しているように思われる。さらに、第3幕の夢のシーンで、喜劇の軽快な面白みを抑制し、人類の退廃と進化の可能性という哲学的な討論を挿入することにより、ショーの戯曲の根底にある超人思想を浮き上がらせ、観客同様、主人公Tannerにもその思想を教示する。こうして書き換えられたパロディックな冒険物語によって、Tannerは自身に内在する矛盾に気付くのである。各幕の場面設定を検証しつつ、Tannerの内なる矛盾とその克服、Annとの結婚の意義などについて考察した。
-2-
【題目】The Mill on the Floss再読―Tom Tulliverを中心に
【発表者】藤田眞弓
【発表要旨】George EliotのThe Mill on the Flossの最後の洪水場面は出版当初からあまりに突然で御都合主義的だと批判されてきた。例えば、Henry Jamesはその結末を恣意的であると非難し、F. R. Leavisはあまりに情緒的で作者の未熟さが露呈している部分であると述べている。今日でもこの場面に出くわした時、当惑する読者も少なくはないだろう。
しかし、物語において洪水が起きる伏線ははられているし、テキストの随所に洪水のイメージが見られる。また、当時の文学の約束事を守る上で女主人公Maggieがこの洪水によって命を落とすのも十分に納得のいく設定ではないであろうか。それでも、悲劇のカタルシスのように読者をすっきりさせてくれるはずのこの洪水が、実際のところは我々をすっきりさせてくれるどころかかえって当惑させてしまっているのである。何故であろうか。
The Mill on the FlossはGeorge Eliotの作品の中で、唯一悲劇的結末を持つと言われているが、Maggieを中心に物語を読んだ時、あながち悲劇とも言えないのである。テキストは、ジャムパフのエピソードから、Stephenとの駆け落ち未遂事件に至るまで終始Maggieの願望を叶えるべく進行している。とりわけ、対男性との関係においてはMaggieの願望は全て叶えられている。Stephenとの駆け落ち未遂の後、St. Oggの「町の審判」を前に「死ぬまで耐え忍ぼう・・・しかしその死が来る日まではどれほど長いことだろう」(第7部第5章)と悲嘆に暮れていた矢先に洪水に襲われるが、これはテキストがMaggieの望む「死」と「和解」を与えた結果なのである。Maggieが洪水で命を落とすことについては物語の進行の上でも、当時の文学の約束事の上でも、またこのテキストの「Maggie擁護」の動きの上でも理由がある。
我々が物語の結末に当惑する理由は兄Tomが一緒にこの洪水で死ぬからではないだろうか。TomにはMaggieのようにこの洪水で死ななければならない理由が無いように思われる。物語の冒頭から彼はTulliver家の長子として過剰なまでに期待され、学生時代は父の期待に応えるべく勉学に励む。父の亡き後はその遺志を継ぐべく若くして一家の大黒柱となり、Maggieに厳しく接する。これは当時ヴィクトリア朝社会において、男子に課せられた当然の役割であり、彼はそれを忠実に果たそうと努力しているのである。Tomが父の借金を返済し、一家の名誉を守ろうと奔走するあたりからテキストの中心はTulliver家の悲劇からMaggieの「青春」にシフトする。Tomの頑張りや、彼の意向が後景化され、Maggieの青春と彼女の内的葛藤ばかりが前景化されることで、時折のTomのMaggieに対する叱責や命令が異常なまでに厳しいものであるかのような印象が与えられ、更には彼の人格そのものが厳格で非情であるかのように読者に思わせるのである。Maggieをはじめ、Stephen、Lucy、そして不具であるPhillipにすら与えられている「青春の謳歌」がTomにだけ許されないのである。そして父の借金を完済し、水車場の買戻しに成功した矢先に洪水に襲われる。このようにこの作品を読んでみると、The Mill on the Flossの最大の犠牲者はMaggieというよりはむしろ、語り手による擁護もなく、青春も奪われた上、Gillian Beerの呼ぶところの「Maggieの洪水」ために命を落としたTom Tulliverだったのではなかろうか、とまで思えてくるのである。
Maggieを中心にテキストを読んだ場合、必然的な結末としてすんなり受け入れることが出来るはずの洪水の場面であるが、Tomを中心に読むと納得のいかない結末になってしまうのである。洪水の場面はこの両方の結末の「読み方」がせめぎあう場であり、それ故読者を当惑させてしまうのではないだろうか。
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【題目】Summerにおける建築のイメージと機能――イーディス・ウォートンの描く家
【発表者】水口陽子
【発表要旨】最初に出版した本がThe Decoration of Houses (1897)という建築家との共著であり、多くのヨーロッパ建築に触れたウォートンは、建築や庭、内装に造詣の深い作家として知られるが、その作品は単に建物や部屋の内部を詳細に描いているというだけではない。
本発表では、ニューイングランドを描いた中篇Summer (1917)を中心に、建物、部屋、扉、窓、家具などに見られる建築のイメージが作品の中でどのような機能を果たしているのかを考察する。主要な登場人物であるHarneyが建築家であり、都会から村を訪れ、主人公Charity Royallと共に古い建造物を見て回るという設定のみならず、ウォートン作品において建築は「すべて持ち主の背景、趣向、価値観を反映するものとして使われており」、ウォートンは「フィクションにおいて棲家と登場人物の間の象徴的な関係を探求している」(Wright 11-12)と言われるように、主人公をはじめとする登場人物たちの心理状態を表すのにも建築に関する表現が用いられている。
例えば、チャリティが働く村の図書室は “her prison-house”であり、墓場にもなぞらえている(7)。家という場が女性を閉じ込める場であるということはしばしば言及されることではあるが、養父であるロイヤルに性的関係を迫られた後、自宅も文字通り牢獄のような場所へと化す。さらに、North Dormerという村全体もその名が指すように「眠ったような」閉じた空間prison-houseなのである。また、作品はチャリティがMr.Royallの家の扉を出てハーニーを見かける場面から始まり、作品の最後はロイヤルとチャリティが結婚し同じ家の前に到着するという象徴的な一文で閉じられている。家を逃げ出したチャリティは、その家にまた舞い戻るしかなく、それは「娘」ではなく「妻」としてである。
また、建物が重要な役割を果たしている一例として、この小説において、女性は見られる存在であるという従来のイメージがこの作品では逆転し、窓を通して女性が男性を覗き見るという構図が重要な場面で用いられている。チャリティはハーニーの身体を覗き見ながら、セクシュアリティを掻き立てられていると同時に、いつもと違うハーニーの姿に「恐怖のようなもの」(66)も覚えている。
さらに、作品の終わりでチャリティが心身ともに疲れ果てた状態でロイヤルと結婚した後の、「彼女はまるで大理石の床にねじでとめられたテーブルのように動けずに」(184)という表現にも見られるように、ウォートン作品に見られる家とはしばしば、冷たく、中に住む人間(男女共に)を閉じ込める場となる。上流社会を描いたThe House of MirthやThe Age of Innocenceなどの作品群に現れる家も、高級品で埋め尽くされているが、そこには血の通った暖かい“home”は存在しない。他にも、ウォートン作品には、窓や鏡が展開やテーマの上で重要な機能を果たしているものが多く、例を挙げるならば、年齢を重ね若さと美しさを失うことに対する女性の恐怖を描き出している短編“The Looking Glass”いう作品等もある。
このようなウォートンの他の作品に見られる建築のイメージにもふれながら、Summer のなかの建築的イメージを考察し、この小説のテーマとの関わりを読み取った。
第4回関学英米文学月例会
第4回関学英米文学月例会を下記の要領で開催いたします。ご出席いただきますようご案内申し上げます。なお、第4回関学英米文学月例会は2008年度関西学院大学英米文学会研究発表会に兼ねさせて頂きます。
記
【日時】 2008年9月27日(土)午後1時より
【場所】 関西学院大学F号館102教室
<題目> Man and Superman における場面設定と空間移動
<発表者> D1 磯部祐実子
<題目> The Mill on the Floss再読
<発表者> 研究員 藤田眞弓
<題目>Summerにおける建築のイメージと機能―イーディス・ウォートンの描く家
<発表者>研究員 水口陽子
多数のご参加をお待ちしております。
追記
第5回関学英米文学月例会(11月末予定)の発表者を募集いたします。なお希望者は10月20日(月)までに世話人(大川、千葉)まで直接ご連絡くださるか、月例会用メールにご連絡いただきますようお願い申し上げます。
関学英米文学月例会世話人
D2 大川 淳
D2 千葉 淳平
【題目】 Redburn試論 ―パストラルの視点から―
【発表者】 岡本晃幸
【発表要旨】 Redburnをパストラルという視点から考察した。主人公Redburnが船出の際に回想する場面では、時間を超越したような空間がイメージされている。しかしそのような時間、現実を超越したような楽園のイメージは、物語が進んでいくにつれて崩れていく。43章において田園での“man-trap”の発見は、楽園での暴力の発見ではないかと論じた。
第3回関学英米文学月例会
第3回関学英米文学月例会を下記の要領で開催いたします。ご出席いただきますようご案内申し上げます。
記
【日時】 2008年7月26日(土)午後3時より
【場所】 関西学院大学F号館103教室
<題目> Redburn試論
<発表者> D1 岡本晃幸
<題目> Bog Poems試論
<発表者> D3 河田優子
多数のご参加をお待ちしております。
追記
関西学院大学英米文学会研究発表会(9月27日)の発表者を募集いたします。なお希望者は7月20日(日)までに世話人(大川、千葉)まで直接ご連絡くださるか、月例会用メールにご連絡いただきますようお願い申し上げます。
関学英米文学月例会世話人
D2 大川 淳
D2 千葉 淳平
【題目】Typee; A Peep at Polynesian Lifeを読む
【発表者】大川 淳
【発表要旨】Typeeをテクスト内の食の描写に着眼して考察した。主人公であり語り手でもあるTommoは、この小説の舞台であるTypee谷の飽食と官能を賛辞する。しかし、同時にTommoの「食べられる者」としての立場が、様々な比喩によってテクスト内に暗示されている。本発表では、この小説におけるcannibalismのテーマを慣習、または儀式として注目するのではなく、比喩として見直すことによって、この小説におけるcannibalismの意味を考察した。
【題目】 ブロンテ姉妹とその周辺
【発表者】 西山裕子
【発表要旨】アン・ブロンテの詩‘ The Bluebell’と小説『アグネス・グレイ』を取り上げて、釣鐘草という一言が、どのように機能しているのかを考察した。まず、その言葉の意味を‘ The Bluebell’の詩のなかで検討した。その後、『アグネス・グレイ』において釣鐘草が効果的に果たしている役割をさらに掘り下げて考察することによって、釣鐘草は、「沈黙」することで「雄弁に」物語ろうとする語り手の心象風景となっていることを指摘した。
第2回関学英米文学月例会
第2回関学英米文学月例会を下記の要領で開催いたします。ご出席いただきますようご案内申し上げます。
記
【日時】 2008年6月28日(土)午後3時より
【場所】 関西学院大学F号館103教室
<題目> Melvilleの作品における食の諸相
<発表者> D2 大川 淳
<題目> ブロンテ姉妹とその周辺
<発表者> D3 西山 裕子
多数のご参加をお待ちしております。
追記
第3回関学英米文学月例会(7月末予定)の発表者を募集いたします。希望者は6月20日(金)までに世話人(大川、千葉)まで直接ご連絡くださるか、月例会用メールにご連絡いただきますようお願い申し上げます。
関学英米文学月例会世話人
D2 大川 淳
D2 千葉 淳平
【題目】As I Lay Dyingにおける匂いの諸相
【発表者】千葉 淳平
【発表要旨】As I Lay Dyingに登場するAddieの死体からは腐臭が発散され、その悪臭は物語世界に充満している。それにも関わらず、登場人物がその臭いに言及することは少ない。また、わずかに言及される場合でも死臭は婉曲的に表現されるのみである。死臭がテクスト上から消し去られている原因を考察することで、Addieの腐臭が作品において果たす機能を明らかにした。
【題目】小説の書き出しについて
【発表者】山内 政樹
【発表要旨】18世紀から19世紀中ごろまで、小説の書き出しには、多くの場合、主人公の出自や、物語が展開する時代背景あるいはその舞台の説明などが語られることがほとんどである。しかし、トマス・ハーディの小説では、書き出しに人物の歩行の表象が頻繁に用いられている。このことは小説中において、歩行が重要な役割を占めていることを表しているのではなかろうか。さまざまな小説とハーディとを比較し、彼の小説の書き出しについて考察した。
五月月例会のお知らせです。日時、会場は以下の通りです。
日時: 5月31日 15時~17時
場所: F号館103号室
連絡先: メールはこちらへ(クリックするとお使いのコンピュータのメールソフトが起動し、このアドレスが記入された新規メールが作成されます)
世話人 大川、 千葉
第1条 本会は関学英米文学月例会と称し、本部は関学英文学研究室に置く。
第2条 本会はイギリス文学、アメリカ文学、およびその関連分野を専攻する関西学院大学大学院生・同研究員の交流と研究活動の促進を目的とする。
第3条 本会は第2条の目的を達成するため次の事業をおこなう。
原則として隔月1回(最終土曜日)の研究発表会(注1)
第4条 本会の会員は第2条の主旨に賛同する、関西学院大学大学院在籍の文学を専攻する院生および研究員とする。
第5条 本会は次の役員を置く。
世話人 2名
世話人は本会を代表し、会務の統括および執行をおこなう。世話人は院生会代表(文学専攻)を含む2名からなる。該当者がいない場合は下の学年より選出される。
第6条 研究発表会に関する細則は次のとおりとする。
1. 発表者は立候補制とする。立候補がない場合は世話人がローテーション制による指名をおこなう。(注2)
2. 発表者は毎回1〜2名とする。
3. 発表は、研究ノート、執筆中の論文、学会口頭発表の予行練習等々、各人の必要に応じて決める。
4. 発表時間は1人30分程度、質疑応答を含めて1時間以内とする。
5. 司会は世話人が務めるが、進行のみおこなう。
(注1) 全国大会・支部大会等と日程が重なるときは開催しない。開催月は年度始めに決定する。今年度(2008年度)の開催月は5,6,7,*9,11,1,3月とする。
*関学英米文学会研究発表会を九月月例会に兼ねる。
(注2) 発表者の応募期間は開催月の前月の一日から20日までとする。発表者がいない場合の指名は開催月の前月末日までにおこなう。